紅茶の豆知識

11月1日はどうして「紅茶の日」?由来となる大黒屋光太夫の逸話をご紹介します

※当ブログには広告が含まれています

秋が来ると毎年、紅茶界隈が賑やかになります。

涼しくなってホットティーの人気が高まるからでもありますが、11月1日の「紅茶の日」も理由のひとつ。

この「紅茶の日」、紅茶好きなら耳にしたことがあるかもしれませんが、なぜ11月1日なのか、一体なにがあった日なのか、誰が決めたのか、疑問に思いませんか?

ということで、今回は「紅茶の日」についてご紹介してまいりましょう!

「紅茶の日」とは?

「紅茶の日」は、1983年に日本紅茶協会が定めた記念日です。

毎年11月1日が「紅茶の日」とされており、日本全国の紅茶関係の店が特別メニューやイベント、キャンペーンを打ち出して大変な賑わいを見せます。

なお、これとは別に5月21日のInternational Tea Dayがありますが、こちらは国際連合が定めたものです。

さて、11月1日が「紅茶の日」になった理由を一言で言うと、日本人が11月1日に初めて正式な茶会に呼ばれて欧風紅茶を飲んだ、という逸話があるため。

ここからは、日本人が初めて茶会で紅茶を飲んだ逸話と、「紅茶の日」を制定した日本紅茶協会についてご説明していきますね。

由来となる逸話

まずは「紅茶の日」の由来になった逸話についてご紹介します。

この逸話の主人公は、江戸時代後期の伊勢国で船頭をしていた大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)という人物。

皇族でも将軍でもありません。

しかも、茶会の場所はロシアのサンクトペテルブルクだというから驚きです。

光太夫を描いたとされる記録がこちら。

『勢州白子漂民御覧御問答記』より 桂川甫周
国立国会図書館デジタルコレクションより

何だか変わった格好をしていますが、一体どのような人物なのでしょうか?

ロシアに漂着した日本人

光太夫がロシアで紅茶を飲むことになるそもそものきっかけは、1782年の大嵐。

光太夫は嵐の4日前に白子港(現 三重県鈴鹿市)を出発し、米や木綿などを積んだ船で16名の仲間とともに江戸へ向かっていました。

遠州灘まで進んだところで一行は嵐に襲われ遭難し、約7ヶ月漂流した末、アリューシャン列島のアムチトカ島に上陸します。

アムチトカ島では約4年も過ごしたのですが、何とか船を作って脱出。

カムチャツカ半島へ渡り、1789年にはイルクーツクまでたどり着き、帰国願いを出すに至りました。

しかし。

当時の日本は「鎖国」の最中。

日本人とはいえ外国へ出てしまったら簡単には帰れません。

今回の光太夫らの帰国願いも却下されてしまいます。

サンクトペテルブルクでの茶会

帰国が認められなかったものの、諦めきれない光太夫らは、当時の皇帝エカテリーナ2世に直接嘆願することにしました。

エカテリーナ2世 ウィギリウス・エリクセン
《エカテリーナ2世の肖像》
ウィギリウス・エリクセン画
1766~1767年 コペンハーゲン国立美術館所蔵

シベリアを横断するように旅を続け、1791年にはサンクトペテルブルクに到着。

エカテリーナ2世に謁見し、遂に帰国の許可を得ることができました。

このサンクトペテルブルク滞在中に光太夫は茶会に招かれ、欧風紅茶(tea with milk, いわゆるミルクティー)を飲んだのでは、と言われています。

茶会に招待された明確な記録はないのですが、当時のロシアの上流階級の間では喫茶が流行しており、皇帝や貴族と交流を深くした光太夫が招かれた可能性は充分あります。

光太夫らの帰還

帰国の許可を得た光太夫らは、イルクーツク、オホーツクと移動し、1792年にようやく根室へ到着することができました。

1982年の遭難からおよそ9年半後のことです。

初めの船出の時には17名だった一行も、寒さや飢え等数々の苦難に襲われ、根室到着の時にはたったの3名にまで減っていました。

12名は途中で死去、2名は体調悪化等もありロシアに帰化。

根室に到着した3名のうちの1名も、根室で体調が悪化し亡くなっています。

光太夫の故郷では遭難して亡くなったと思われていたため、供養碑が建てられていました。

さて、光太夫については様々な史料が残されています。

最も有名な史料のひとつは『北槎聞略』

『北槎聞略』桂川甫周
国立公文書館デジタルアーカイブより

光太夫らは「鎖国」の最中にロシアの地を広く見聞きし、しかも上流階級と交流を深め皇帝にまで謁見した人物ということで、将軍・徳川家斉の上覧のもと取り調べを受けました。

この際、取り調べを行った蘭学者・桂川甫周(かつらがわ ほしゅう)により、光太夫の口述をもとに記されたのが『北槎聞略』です。

また、光太夫の旅は小説や映画などの題材にもされており、井上靖『おろしや国酔夢譚』吉村昭『大黒屋光太夫』などが知られています。

本当に茶会に招かれたのか、紅茶を飲んだのか、11月1日なのか、日本人初なのか・・・などはともかく、壮大で興味深い物語ではありませんか?

11月1日という日が、紅茶界隈が賑わったり、紅茶に興味を持つ人が増えたり、楽しく紅茶を飲むきっかけになったりしたら、とても素敵なことだと思います。

日本紅茶協会とは?

最後に、「紅茶の日」を制定した日本紅茶協会について触れておきますね。

日本紅茶協会は、国内唯一の紅茶関連業者の団体です。

設立は1939年まで遡り、現在では紅茶メーカー、紅茶輸入業者、紅茶生産国の茶業振興局などが加入。

紅茶業界の窓口として会報や統計を発行するほか、様々なセミナーを開催するなど、活動は多岐に渡っています。

ティールームの入口で「おいしい紅茶の店」というマークを見かけたことがあるかもしれませんが、これも日本紅茶協会が認定したもの。

実は意外に身近な存在なのです。

(私も日本紅茶協会に認定されたティーアドバイザーです♪)

一般向けのセミナーも充実していて、業界関係者のお話を聴ける貴重なチャンスにもなるので、参加すると楽しいですよ!

以上、「紅茶の日」のお話でした。

-紅茶の豆知識